オランダ女性が本山捕虜収容所を訪問

地元住民から戦時中の収容所の様子を聞くホームズさんとライディングズさん(左から、本山町の海岸沿いで) 英国在住のオランダ人ローラ・ライディングズさん(62)が二十六日、亡父ヤン・ヴァン・ヴァーレンさんが戦時中に収容されていた山陽小野田市の本山捕虜収容所跡地を訪れた。本山地区の住民とも交流し、当時の収容所の様子を聞き、父親をしのんだ。

軍人として従軍していた亡父は一九四二年にインドネシアで日本軍に捕まり、タイとビルマ(現ミャンマー)をつなぐ泰緬(たいめん)鉄道の建設作業を強いられ、四五年に本山収容所に送られて、七カ月間、採炭作業に従事したという。終戦後はオランダに帰国し、九七年に八十四歳で亡くなった。
母親のパウラ・コーヘルさんも収容所として接収されたインドネシアの自宅に、息子二人や他の民間人と共に軟禁された。二〇〇〇年に死亡。過酷な戦争体験をつづった日記を元に、ライディングズさんが手記「Ampasiet A15」をまとめている。
ライディングズさんは終戦後、インドネシアで生まれ、両親(後に離婚)から戦争体験を耳にする機会も多かった。戦争捕虜や遺族を日本の収容所跡地に招き、傷ついた心の癒やしと和解の活動を続けているアガペ(本部・英国ロンドン)の代表で、ロンドン在住の恵子・ホームズさんと今年出会い〝癒やしの旅〟を思い立った。
本山収容所は一九四二年に開設され、終戦時にはイギリス人三百九十八人、オランダ人七十六人、アメリカ人七人、オーストラリア人一人の合計四百八十二人が収容されていた。
本山町を訪れたライディングズさんとホームズさんは、地元の藤田信博さん(75)、原田幸人さん(82)らの案内で、今は雑草が生い茂り、痕跡すらない収容所跡地で、戦時中の様子を聞いた。
藤田さんは「捕虜といっても地元住民とは敵対感情は薄く、食べ物を物々交換していた」と話し、かつて収容所のゲートがあった場所や収容所に通じる道を指し示した。
ライディングズさんは「亡父からは、体が弱り四つんばいになって移動するような時もあったことや坑内のパイプは連合軍が攻めてきたら毒ガスが放出され、捕虜を殺すためにあるなどと聞いたことがある」と振り返った。
跡地に立ち、用意したろうそくに火をともして亡父をしのび「父の魂がここにあると思うと胸がいっぱいになる。戦争は、かかわったすべての人の心にわだかまりを残し、それを払しょくしたい気持ちになる。和解のための活動は意義があり、ここに来られたことを感謝したい」と話し
た。
ライディングズさんとホームズさんはこの後、市役所に白井博文市長を表敬訪問し、本山小でも六年生を前に、戦争と平和について語った。

カテゴリー:その他の話題2010年11月27日

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