寝太郎荒神社、干ばつの記念碑再建

よみがえった「旱魃記念」の石碑と修復した村上さん(寝太郎荒神社で) 山陽小野田市桜2丁目の寝太郎荒神社で11日、かつて同神社に建てられていた干ばつの記念碑が再建された。石碑は1939(昭和14)年に県西部を襲った大干ばつの際、寝太郎堰(ぜき)・寝太郎用水路の恩恵を受けた地域だけが大豊作であったことに感謝して造られたもの。再建に携わった厚狭図書館の開初茂夫館長は「石碑は貴重な物証で、よみがえって良かった」と話した。

同神社は寝太郎伝説の遺跡の一つで、JR厚狭駅新幹線口から西側に500㍍ほどの住宅地にある。石碑の高さは約1・25㍍で「旱魃(かんばつ)記念」の文字と、昭和14年6月22日から9月11日まで晴天で、寝太郎堰から田に水を引いていた大井手掛(おおいでがかり)のみ満作だったことが記されている。
干ばつ記念の石碑が同神社にあることが山陽町史に記載されているにもかかわらず、神社内に石碑が見当たらないことに、開初館長が気付いたことが再建のきっかけ。7月末、開初館長が神社の周辺を探したところ、片隅に旧鳥居の石材が放置されており、その裏側に、根本から折れ、横倒しにして置かれていた石碑を発見した。
貴重な資料であるため、開初館長は厚狭1丁目で石材店を営む村上昭治さん(85)に修復の見積もりを依頼。村上さんは「厚狭に生まれ、厚狭に育ててもらった恩返しがしたい」と無償で石碑を直した。村上さんは「昭和14年の干ばつは、子供ながら記憶に残っている。寝太郎さんは地元の象徴であり、古里のためを思って修復をお手伝いさせていただいただけ」と言う。
よみがえった石碑は神社の鳥居をくぐってすぐの左側に建てられた。開初館長は「旱魃記念というのは珍しいが、大干ばつにもかかわらず、寝太郎堰と用水路のおかげで豊作となった農民の喜びと感謝が石碑建立に至ったのだろう。石堰と用水路が地域の農民に役立ったことを示す重要な物証」と話した。

カテゴリー:地域2011年8月12日

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