毛利秀就公「誕生の地」をPR、小野に史跡保存会

寺社由来書に秀就公の誕生について書かれている高良神社と平山さん(小野阿武瀬で) 毛利秀就公誕生の地史跡保存会が7日、宇部市小野に結成され、文献や史跡の調査・保存と情報発信に取り組むことを決めた。長年にわたる研究で秀就公の出生の秘密を解き明かした小野郷土史懇話会会員の平山智昭さん(82)が会長に就任。出生地の小野阿武瀬は、史跡を訪ねて来る歴史愛好家も増えていることから、説明板の設置を進めている。

長州藩初代藩主の秀就公は、関ケ原の戦いで西軍の総大将を務めた輝元の長男。通説では1595年に広島城で誕生したとされている。
平山さんは、さまざまな文献と地域に残る言い伝えを基に、秀就公が誕生した時に使われたという「産湯の池」、村人たちが秀就公の成長を祈願した高良神社など、史跡を一カ所ずつ突き止めては丹念に調査。
秀就公の誕生が実際には4年早い91年で、小野阿武瀬(当時は長門の国厚東郡四ケ小野村阿武瀬)の領主、財満就久の屋敷であったことを突き止めた。
さらに、秀就公の母二の丸(周姫)が懐妊した時、就久が輝元にかくまうようにと命じられ、出生後の処置を戦国最高の知将とされる毛利元就の三男である小早川隆景に相談したことが記されている財満家文書を発見。自説を裏付けた。
「輝元が二の丸を小野阿武瀬に隠棲(いんせい)させたのは、三方を山に囲まれた要害の村で、周囲を縁者が固めていただけでなく、地域の人が和やかに暮らしていた平和な村であったからだと考えられる。秀就公に関する文献や史跡だけでなく、調査・保存の対象を次第に広げていきたい」と平山さん。
史跡の説明板は、地権者の了解を得て、会員で費用を捻出しながら設置。財満屋敷の跡には、入り口付近に石柱も建立するように計画している。保存会は年内に設立総会を開く方針。

カテゴリー:教育・文化2012年5月8日

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